私たちペピイは、愛犬と飼い主さんがともに健やかに、幸せに暮らすことを大切にしています。そこで今回は動物行動学の権威で、「ヒトと動物の共生」を科学的に解明する研究で知られる菊水健史先生に、犬との暮らしがもたらす健康効果についてご執筆いただきました。飼い主さんが日々感じている【愛犬がくれる力】を、科学の視点から見つめ直す連載です。
初回は「犬との暮らしがもたらすポジティブな変化」について、2回目は「人と犬の絆やオキシトシンの健康効果」、3回目は「ウェルビーイング向上に繋がる犬との暮らし」について解説していただきます。
人と犬がともに長生きし、豊かな人生を歩めるよう、これからの共生を見つめ直すきっかけとして、ぜひ本連載をお役立てください。
菊水 健史
麻布大学 教授
鹿児島県生まれ。東京大学大学院農学生命科学研究科(獣医動物行動学研究室)を経て、麻布大学獣医学部動物応用科学科教授。博士(獣医学)。専門は動物行動学。
主な著書に、「いきもの散歩道」(文永堂出版)、「犬のココロをよむ」(共著、岩波書店)、「最新研究で迫る犬の生態学」(エクスナレッジ)、「ヒト、イヌと語る:コーディーとKの物語」(東京大学出版会)がある。NHKスペシャルなどメディアにも出演。

目次
「犬がいるから、毎日が楽しい」飼い主の皆さんにとって、それは当たり前の実感かもしれません。しかし今、その実感が世界中の科学者たちの手によって、明確な「健康効果」が証明され始めているのをご存知でしょうか。
そもそも犬は、人類にとってもっとも古い家畜であり、数万年という途方もなく長い共生の歴史を持っています。この長い共生の歴史のなかで、私たちは単なる「人間と動物」の垣根を越え、お互いの視線や仕草で驚くほど高度なコミュニケーションを取り、深い「絆」を形成する特別な能力を共に進化させてきました。
これほど長い共生の歴史が続いてきた背景には、お互いに生存を助け合う「互恵性(ギブ・アンド・テイク)」の関係があったと考えられています。かつては狩猟のパートナーや防犯といった実利的なメリットだったその関係性は、現代において「ヒトの心身の健康を支える」という、新たな、そして極めて重要なメリットへと形を変えているのです。
さらに最近では、犬が人と人、あるいは人と地域社会をつなぎ、孤独や社会的孤立を解消するという「犬の社会的価値(ソーシャル・キャピタルとしての役割)」にも大きな注目が集まっています。
今回の連載(全3回)では、犬との暮らしがヒトの心と体にどのようなポジティブな変化をもたらすのか、最新の研究結果を紐解きながらご紹介します。

ペットと健康の関係が科学的に注目されるきっかけとなった、有名な研究があります。1980年、世界的に権威のある医学雑誌『Lancet(ランセット)』に発表された論文です。
心臓疾患で入院した患者さんを調査したところ、「ペットを飼っている人は、飼っていない人に比べて、退院1年後の生存率が著しく高い」という驚きの結果が出たのです。ペットを飼育していない方は1年以内に30%程度の方が亡くなっていましたが、ペット飼育者ではこれが5%にまで低下しました。ペット飼育は疾患からの回復に効果をもたらす可能性が示されたことになります。
この衝撃的な報告を起点に、犬との暮らしがもたらす健康効果の研究は一気に加速しました。2019年に発表された約380万人を対象とした大規模な解析(メタ分析)でも、犬の飼い主はそうでない人に比べ、全死亡率が24%も低下することが示されています。

現在では、以下のような多方面への効果が確認されています。
- 循環器系への効果
アメリカ心臓協会(AHA)は、犬の飼育が心血管疾患のリスク低下に関連しているという声明を出しています。犬と触れ合うことで血圧や心拍数が安定し、高血圧などのリスクが軽減されることがわかっています。
- 痛みの軽減(慢性疼痛)
慢性的な痛みを持つ人が犬と交流することで、痛みの感じ方が和らぐという報告があります。これには「愛情ホルモン」と呼ばれるオキシトシンや、天然の鎮痛剤とも言われるエンドルフィンといった脳内分子が関わっています。(これらは第2回で詳しく紹介します)
- 発達のサポート(自閉症児)
自閉症スペクトラムを持つ子どもたちが犬と接することで、ストレス指標であるコルチゾール値が低下し、社会的な相互作用(他者との関わり)が促進されることが示されています。
- メンタルヘルス
日常的なストレス性疾患や、うつ傾向の改善に対しても、犬の存在は大きな支えとなります。
- アレルギー予防
乳児期から犬と一緒に暮らすことで、将来の喘息リスクが13%、アレルギー疾患のリスクが低下するという「衛生仮説」を支持するデータも注目されています。
衛生仮説とは出生後から最初の1年半くらいを土や動物と過ごすことで、多様な微生物環境に触れることになり、これがアレルギー体質の予防に役立つという仮説です。

私たち、麻布大学の研究グループは犬の飼育がもたらす思春期児童への効果を調べました。子どもから大人へと成長する「思春期」は、精神的に非常に不安定になりやすい時期です。しかし、家庭で犬を飼育している思春期の児童を調査したところ、「社会性が高く保たれ、ウェルビーイング(幸福感・良好な状態)が高い」という傾向が明らかになりました。
また学校や地域社会で自分があまり馴染んでいない、疎外感を感じていても犬や猫に話しかけることで、ウェルビーイングが高く維持されることも明らかになりました。
犬は、ヒトを評価せずにありのままの自分を受け入れてくれる存在です。多感な時期に犬と心を通わせる経験が、自己肯定感を育み、社会の中で他者と関わる力の土台となっていると考えられます。
さらに、高齢期における犬の飼育効果については、東京都健康長寿医療センターの谷口優先生らの研究により、非常に具体的なメリットが判明しています。
- 介護費の軽減
驚くべきことに、犬を飼い、適切に散歩に行っている世帯では、自治体が負担する介護費用が抑制されるというデータも出ています。
- 認知症リスクの低下
犬を飼っている高齢者は、飼っていない人に比べて、認知症を発症するリスクが約40%低いことが示されています。これは、散歩による運動と、犬を通じた他者との交流という「身体的・脳的刺激」の両方が作用しているためです。
- フレイル(虚弱)の軽減
犬の飼育、特に「散歩」という習慣が、身体機能の低下(要介護や死亡などの自立喪失)のリスクを50%軽減します。
これは単に「歩くから健康になる」という身体的な理由だけではありません。散歩を通じて地域の人と挨拶を交わしたり、飼い主同士のコミュニティができたりといった「社会的なつながり」が、脳と体を若々しく保つ特効薬になっているのです。
今後、高齢化社会が到来しますが、犬の飼育は今後の健康寿命を伸ばすことに繋がるかもしれません。

「正しい理解」が、より良い共生への第一歩
もちろん、「健康に良いから」という理由だけで安易に犬を迎えるべきではありません。犬という命に責任を持ち、彼らが幸せであってこそ、私たちの健康という素晴らしいギフトがもたらされます。
犬は単なる「癒やしグッズ」ではなく、共に社会を生き、お互いのウェルビーイングを高め合う「共生パートナー」なのです。


