役に立ったらシェア!

全3回 特別連載 vol.2 麻布大学教授 菊水健史先生に学ぶ 愛犬との「見つめ合い」が体を治す? ~オキシトシンが起こす心身の安らぎ~

愛犬の目を見つめていると、なんだか気持ちが落ち着く。撫でているだけで、日々の疲れやストレスが吹き飛ぶ気がする。

愛犬家なら誰もが一度は感じたことのあるこの温かい感覚。実はこれ、単なる「気のせい」でも心理的なプラシーボ効果でもありません。私たちの体内、そして愛犬の体内で「オキシトシン」という特別な物質が分泌され、ダイナミックな生理現象が起きています。

今回は、私たち麻布大学の研究グループが解明した「人と犬の絆のメカニズム」と、その鍵を握るオキシトシンが私たちの心身をいかに修復し、健康を守ってくれているのかという驚くべき最新の知見をご紹介します。

菊水 健史 麻布大学 教授

鹿児島県生まれ。東京大学大学院農学生命科学研究科(獣医動物行動学研究室)を経て、麻布大学獣医学部動物応用科学科教授。博士(獣医学)。専門は動物行動学。

主な著書に、「最新研究で迫る犬の生態学」(エクスナレッジ)、「ヒト、イヌと語る:コーディーとKの物語」(東京大学出版会など)がある。NHKスペシャルなどメディアにも出演。

菊水健史先生

第2回 目と目が合う ~視線とオキシトシンの
「ポジティブループ」~

菊水先生と愛犬・スタンダードプードルのケビンクルトくん
菊水先生と愛犬・スタンダードプードルのケビンクルトくん

長年、オキシトシンは「母親が赤ちゃんを出産するときや授乳するときに分泌されるホルモン」として知られていました。しかし近年の研究で、この物質が「人と人、そして人と犬の間の深い絆を作る鍵」であることが分かってきたのです。

私たち研究グループは、人と犬が触れ合うときの脳とホルモンの動きを調査しました。
飼い主が愛犬の目を見つめると、飼い主の脳内でオキシトシンが分泌されます。オキシトシンが高まった飼い主は犬に対して声掛けや撫でるなどの行動を示します。すると、その愛情を受け取った犬の脳内でもオキシトシンが分泌されます。
さらに、オキシトシンが高まった犬は、愛犬特有の愛おしい眼差しで飼い主をじっと見つめ返し、触れ合いを求めてきます。その姿を見た飼い主の脳内では、さらにオキシトシンが分泌される‥このように、「視線を交わすことで、お互いのオキシトシンが高まり続ける循環(ポジティブループ)」が存在することが科学的に証明されました。

この「視線を介したオキシトシンのループ」は、ヒト同士(特に母親と赤ちゃん)の間で見られる「生物行動的同調」と呼ばれる現象です。母親と赤ちゃんが見つめ合い、声を掛け合い、触れ合うことで、二人のオキシトシン濃度がシンクロして上昇し、絆が深まっていきます。

驚くべきことに、犬は人間との進化の歴史の中でこのメカニズムを獲得しました。オオカミではこのオキシトシンの上昇は起きません。犬だけが、種の違いを超えて「人間と母子のような強い絆を結ぶ特別な能力」を身につけたのです。

さらに、オキシトシンが分泌されると、脳内の「報酬系」と呼ばれる部位(側座核や腹側被蓋野など)が活性化します。これにより、ドーパミンなどの快楽物質が放出され、「愛犬の世話をする」「愛犬と一緒にいる」という行為自体が、脳にとって「最高のご褒美(快感)」として記憶されます。だからこそ、大変な毎日の散歩やお世話も、苦にならず幸せな時間と感じられるのです。

ヒトにとって万能なメンテナンス物質
オキシトシンによる効果とは?

「オキシトシン=絆や癒やしのホルモン」というイメージが強いかもしれませんが、それだけでなく、血液に乗って全身をめぐり、さらには体の各組織、例えば皮膚や胃腸、心臓などでも作用し、傷ついた細胞や組織を再生・修復することがわかってきました。

体内でオキシトシンが働くためには、細胞の表面にオキシトシンを受け取る受容体が必要です。従来、この受容体は脳や生殖器にしかないと考えられていました。
しかし現在では、心臓、血管、筋肉、骨、胃腸、皮膚など、あらゆる臓器にこの受容体が存在することが分かっています。つまり、愛犬と触れ合ってオキシトシンが分泌されることは、全身の臓器に「修復と再生のスイッチ」を入れることにつながることが想定されます。

臓器別の効果

  • 循環器

    血管を拡げて血圧を下げ、心臓にかかる負担を軽減します。さらに血管をしなやかに保ち、万が一心筋梗塞などで心臓の細胞が傷ついた場合でも、心臓の幹細胞を活性化させて心筋の修復を早める働きがあります。

  • 消化器

    胃や腸の粘膜細胞にもオキシトシン受容体が存在し、炎症を引き起こす悪玉物質の発生を抑え、腸の壁をしっかり塞ぐ働きを強めます。これにより、ストレスによる胃潰瘍や腸炎を防ぎ、お腹の健康を強力に守ります。

  • 皮膚

    皮膚の細胞は、脳からの指令を待つだけでなく、自らオキシトシンを作り出す能力を持っています。オキシトシンはコラーゲンの合成を促し、酸化ストレス(細胞の錆び)を抑えるため、皮膚の傷を早く治し、肌のバリア機能を健やかに保つのに貢献します。

  • 筋骨格系

    高齢期の大きな課題である、筋肉が衰える「サルコペニア」。
    最新の研究では、オキシトシンが筋肉の幹細胞を刺激し、ダメージを受けた筋肉を若々しく再生させることが明かされました。また、骨をつくる細胞を活性化させて骨密度を保ち、骨粗しょう症を予防する効果も確認されています。

愛犬はあなたの体と心を細胞レベルから若返らせ、守ってくれる「生きている処方箋」。

現代社会を生きる私たちは、人間関係や仕事のプレッシャーなどにより、常に心身が緊張しがちです。この状態が続くと、ストレスホルモンが分泌され、免疫力が下がり、体内の修復機能がストップしてしまいます。しかし、愛犬と見つめ合い、優しく触れ合うと、脳のストレス反応の暴走が収まります。そして副交感神経(リラックスモード)が優位になり、オキシトシンが一気に全身へ広がります。

愛犬という存在が「ここは安全で安心な場所だ」というシグナルを脳に送ることで、体は外敵に備える「防衛モード(炎症・緊張)」を解除し、傷ついた細胞を直す「内部メンテナンス・修復モード(再生・成長)」へと促してくれます。
「愛犬の目を見つめる」「優しく声をかけながら、背中を撫でる」この何気ない日々の習慣は、お互いの絆を深めるだけでなく、あなたと愛犬の双方の体の中で「修復と再生のネットワーク」をフル稼働させています。愛犬は単なる癒やしの存在だけではありません。

愛犬のつぶらな瞳と目が合ったら、どうぞ数秒間、じっと見つめ返してみてください。
その瞬間、あなたと愛犬の体の中で、素晴らしい健康の魔法がかけられているのですから。

次回最終回!お楽しみに!(菊水先生と愛犬のケビンクルトくん)

新着記事