ペットと共に生きること

「人と動物が一緒に暮らしていく」うえで、考えて欲しいことを、さまざまな取材を通して紹介します。ちょっぴり硬い話題が多いけれど、ほんの少し、一緒に考えてみませんか?

アーサーの亡骸は、少し離れたペット霊園で火葬してもらいました。骨を拾いに行った母に霊園の人が「アーサーちゃんは、ずいぶん若い頃に飼い主から逃げたか捨てられたかして、それ以来まともに栄養のある食べ物を口にしていなかったのかも。人なつっこいのは、あちこちで人に保護されたりする日々を繰り返していたからかもしれませんね」と。若い頃の栄養不足のためか、火葬後のアーサーは、ほとんど骨が残っていなかったのだそうです。
僕の両親の元へ来るまで、ずいぶん長い旅路だったのでしょう。

地元のタウン誌に、母がアーサーの写真を投稿。「本当の飼い主の目に留まれば」という思いで、「ぼくははしもとさんちでたのしくあそんでいます」とコメントもつけました。

このペット霊園には、保護された多くの犬が眠っています。生きている間の多くの時間を風来坊として過ごしたアーサーも、今度こそ自由に、人間の気持ちに左右されないように生きて欲しいという願いから、彼らと一緒に埋葬してもらうことにしました。父も母も、そこに行けばいつでもアーサーに会える。
「アーサーを自由にしてあげたい」。父と母の気持ちは、ただその願いだけでした。

その年末、母に連れられ、僕もアーサーが眠る霊園へと向かいました。位牌が安置されている部屋に通されると、そこには多くの犬たちの写真に混じって、にっこりと笑うアーサーの写真。
「ボクは大丈夫だからね」そんな言葉を、アーサーがかけてくれた気がしました。

【後日談】
アーサーが急にいなくなったあと、ロックは円形脱毛になりました。ライバル心をもちつつも、どこかで慕っていたのでしょう。アーサーが苦しんでいる間、心配そうに見ていたそうですから。